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2009年9月11日 (金)

新司法試験 何を持って「質」を語るか

新司法試験の合格者の発表があり、新聞各紙は、合格率が30%をきり、合格者数が始めて減少したことを大々的に報道している。さらに、74ある法科大学院の定員削減、統廃合の問題に言及している。

最近になって、法曹の質の低下を懸念して弁護士増に反対を表明し始めた日弁連は、定員の削減が「少人数授業が増え、、、、、質の高い法曹を要請できる」(椛島事務局次長)と歓迎しているようだ。

しかし、「小人数授業」「実務的内容のカリキュラムの増加」と「法曹の質」は比例するのだろうか?

少数の合格者しかなく、2年間の修習期間があった旧の旧司法試験制度では、もともと少数精鋭であるし、じっくりと大事に育てられ、優秀な人が多かったのであろう。

しかし、私が修習生や弁護士なりたての人を多数見るようになったこと10数年は、既に合格者も500人以上に増加し、修習期間は1年半に短縮されている。

それでも特にレベルが低下しているなどとは感じなかった。

企業法務に在籍する者として感じたのは、修習生はもちろん、1年目の人は、一部の飛び抜けて優秀な人は別にして、実務ではほとんど使い物にならないということである。

1年目は、弁護士事務所に所属して、ボス弁から、先輩弁護士から、なかにはベテラン事務員から仕事を教えてもらい、指導され、そしてクライアントからも勉強させてもらって、2年目や3年目にやっと単独でも案件を頼んでみようかなというきになるというのが平均的な弁護士の状態であるように思う。

要は、修習を終えてから、「一人前の弁護士」と評価されるまで、どのような自己研鑽を積むかによって、その後の弁護士人生は大きく変わるのではないのだろうか。

そもそも「法曹の質」は、誰が評価するのであろうか? 

私は日弁連ではないと思う。

弁護士は、他人から法律事務の処理をその専門能力を期待して事件の受任をするのであり、評価はその過程にあるのではないかと思う。

法務部が存在する企業を除いて、弁護士に関する情報や交流がないから、弁護士事務所という「百貨店」に行きさえすればサービスが受けられた。

しかし、弁護士があふれ、弁護士に関する情報がビジネスとして提供され、そのサービスの内容やレベルなどもわかるようになれば、顧客は、「弁護士を選別」するようになる。

あたかも、デパートが凋落し、専門店、カテゴリーキラーが伸びている流通業界のように。

合格者問題は、この質を確保する仕組みが壊れてしまったということに起因している。いうまでもなく、弁護士事務所に所属できない「軒弁」「宅弁」が増加し、「自己研鑽」の機会を奪われていることで、教育を受ける機会がなくなっており、企業系クライアントもいないので、助成金付学習の場の提供も期待できない。

したがって、新しい自己研鑽プログラムを法務省や文部科学省、弁護士会は用意すべきであると思う。

経営法友会で司法制度改革において法科大学院を考えるときに意見書を平成13年に提出したが、このとき意見した内容が本件にも大いに参考になると思うので、改めて、ここに示したい。

基礎的な法的知識や判断力を備えた法曹人材を広く社会に行き渡らせることが必要であるが、この検討の基本的方向として、量(法曹人口)の面では、社会ニーズ等により自ずから法曹の総数が決まる仕組みを志向すべきであり、質の面では競争原理を背景とした法曹自身の自主的研鑽によるサービス内容の向上を基本としつつ、法曹に対するニーズの変化に的確に対応できるよう、自己啓発による専門性向上を支援するプログラムや機関を創設すべきである。

量的にいえば、試験合格者数や教育機関の受入れキャパシティ-を「資格保有者」数の調整弁として機能させるべきではなく、予防法務の担い手としての「資格保有者」は可能な限り多くを社会全体に配置するようにするとともに、法廷弁護士、裁判官、検察官などは、その時々の社会ニーズによって自ずと量的な充足が得られるような柔軟性のある仕組みとすべきである。

また、質的にいえば、従来のように量的に限定されていて均質的、同質的に語られることの多かった「法曹」と、予防法務の担い手として社会全体に配置される「資格保有者」では、期待される法的サービスの質に自ずと違いがあるというべきであろう。そして高度の専門性が求められる分野においては、豊富な量の「資格保有者」を潜在的供給源とし、「資格保有者」間での「競争」を通じた法的サービスの質的向上が期待される。 

つまり、資格の取得やそこに至る過程に大きな意味をもたせるべきではなく、資格取得後の「競争」をいかに上手く機能させるか、という発想こそが重要である。 (引用ココまで)

以下は、私見であるが、司法研修所の収容能力などを理由に既存の育成システムを残したまま、新しい理念の下新しい制度を導入したことが問題であって、「法曹の質」についての責任を法科大学院にのみ求めるのはいかがなものかと思う。

育成プログラムについて早急に再検討が必要なのでなかろうか。

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